2024年4月11日木曜日

下地島空港はもう5周年 でもこの先は? 

  


 オールジャパンでもトップクラスの美しい海を背に、目の前をジェット機が轟音を轟かせて離発着する。

 こんな空港は日本中探してもほかにないだろう、そんな下地島”絶景”空港ですが、開港して早5年が経ちました。


 当ブログを始めた頃、下地島空港は、まだ訓練飛行場でした。紆余曲折の末今の姿になったのですが、当ブログではその状況を追いかけ続けてきました。

 下地島空港に関する記事は皆さんも関心が高かったようで、PV数も伸びました。


 ターミナルが新たに整備され、定期便が飛ぶようになってからもう5年ですか。本当にあっという間でした。


 これは、ブログを始める直前の2012年7月に撮った写真です。


 その下地島空港ですが、開港当初は、ジェットスターが1日1往復するだけだったのですが、その後コロナ禍に見舞われたものの、昨年度は遂に年間利用者数が42万人に達し、昨年の8月には累計の利用者数が100万人を突破しています。

 このまま行けば、当初目標だった2025年度に利用者57万人という数字も、あながち、夢ではなさそうです。


 コロナで途絶えていた国際線も、来月末には大韓航空系LCCのジンエアーが就航し、仁川から週5往復運航されることが決まっています。




 その一方、不安材料もあります。

 開港7年目に、国際線を含め1日6往復程度、利用者は57万人程度というのが開港当初の構想でした。

 昨年7月から、定期便がジェットスター1往復、スカイマーク5往復体制となっており、国際線はないものの、1日6往復という目標は既に達成しています。

 それにもかかわらず、利用者数は目標は、4分の3以下です。つまり、1便当たりの乗客が想定より少ないということです。


 また、スカイマーク依存も相変わらずです。

 この会社はかつて経営破綻し、その際、石垣空港・宮古空港を含む多くの空港から撤退・運休しました。

 あのとき、スカイマーク依存度の高かった茨城空港は、空港そのものの存続が危ぶまれたほどです。

 JALでもANAでもない、中堅以下の航空会社1社に支えられている体制は、安定性の面で一抹の不安が残ります。
 

 また、下地島空港のおかげで宮古島の観光客が増えたかというと、そういうわけでもなさそうなのです。

 宮古島市の統計によると、オンシーズンである7月~9月の入域観光客数は、昨年は272,151人でした。
 これは、コロナ前2019年の同期間の332,439人の81.9%に過ぎません。

 中国の団体観光が禁止されていた影響はあるでしょうが、国内向けには、7月・9月に県が全国旅行支援で大盤振る舞いをしたにもかかわらずこの数字です。


 しかも、下地島空港開港前の2018年の同期間では、さらに多い366,442人であったため、結局は宮古空港の利用者を喰っただけ、という見方もできそうです。


 この間、宮古島ではホテルの開業が続き、客室数は、コロナ前に比べ確実に増えています。
 宮古空港と併せて、空港とホテルというハード面では、観光客を受け入れるポテンシャルは相当高いといえるのですが、それを生かし切れていないのか、それとも、後先考えずハードだけが先走ったのでしょうか。




 人口約5万5千人の宮古島市に大型空港が二つもあるというのは、他に類を見ない贅沢な環境です。

 高級ホテルも次々開業し、受け入れ体制はバッチリなのですが、その一方足元では、宮古島周辺の海でクマノミが捕獲され持ち去られるなど、情けない状況が続いています。 


 宿泊税も結構ですが、その前に市は、観光地宮古島をどうしたいのか、そのビジョンを具体的に打ち出してもらいたいものです。

 宮古島市総合計画の基本理念は、「心かよう夢と希望に満ちた島宮古〜みんなで創る結いの島」だそうですが、美しい言葉を並べるだけではなく、行政として具体的に何を目指すのか、そのために島民と観光客に何を我慢してもらうのか、本気で考えてもらわなければ、日本一美しいかも、といわれる宮古の海も、先行きは暗いのではないでしょうか。


 オンリーワンの絶景空港である下地島空港。

 10周年・20周年を向かえる頃には、秩序ある成熟した観光地の入り口として、憧れの的となっているでしょうか。
 それとも、「国破れて山河あり、宮古島破れて空港あり」と揶揄されているのでしょうか。



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2024年4月6日土曜日

沖縄の花 ハイビスカス12連発

 


 沖縄の花ハイビスカス。

 沖縄県花というわけではなく、沖縄三大花にも含まれませんが、沖縄で花といえばハイビスカスとブーゲンビリアが真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。

 今回はシンプルに、ハイビスカスの花の写真をど~んと12点並べました。




 島言葉で「アカバナー」というくらいなので、ハイビスカスといえば赤なのですが、ハイビスカスの中には、ピンクもあり黄色もあり白もありでカラフルです。




 ハイビスカスの野生種は、250種類くらいあるそうですが、それを園芸用に掛け合わせたため、今ではもの凄い種類のハイビスカスが咲き乱れています。




 ハイビスカスは、日当たりのよい場所を好みます。一方、霜が降りるような寒さは苦手なので、沖縄にはピッタリです。




 しかも、水捌けの良い土を好むので、隆起珊瑚の島が多い沖縄にはさらにピッタリ。




 ハイビスカスは、次から次へと花を咲かせます。温暖な沖縄では、冬でもハイビスカスが咲いています。




 さらにさらに、沖縄向きなのは、台風にも強いのです。花も葉も吹き飛ばされてしまっても、逞しく再生します。大体45日で復活するそうです。




 そう考えると、やはりハイビスカスは、ザ・沖縄の花です。




 ハイビスカスは、絵になるので、いい感じで咲いているのを見つけるとすかさず写真に撮りたくなります。

 そんなことをもうかれこれ20年繰り返しているのですが、飽きることはありません。




 色々ブログに書きたいテーマや出来事もあるのですが、今回は花の写真を並べるだけにしました。

 当ブログは、「沖縄」ということ以外には縛りを設けず、何でも書いていいことにしているため、一貫性のないものになっていますが、その緩さが10年以上続いた秘訣なのです。笑




 ハイビスカスの写真も、当ブログで過去何度もご紹介していますが、久々にここ1~2年の間に撮った新作を並べてみました。

 暖冬暖冬と言われながら、さくらの開花が遅かった今年も、いよいよ春の到来、そして、沖縄には夏がやって来ます。





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2024年4月1日月曜日

沖縄だけじゃないけれど 航空機のサービスとは

   

 歌手の吉幾三さんが、飛行機内で「非常に横柄な国会議員と遭遇した」とYouTubeで語った話。

 続報では、匿名のCAからもらったとする手紙を紹介し、それによれば、当該議員は有名なクレーマーで要注意人物であるということで、実名も暴露されました。

 
 その後、この人物に関しては、文春砲も参戦してますます盛り上がっていますが、今回は、そこにツッコミを入れる話ではなく、沖縄に何度も通う中、航空機のサービスについて感じていることを書いてみたいと思います。


 飛行機という乗り物は、いい意味でも悪い意味でもとにかく不透明なのです。

 


 まず何といっても、航空機の運賃は本当に不思議ちゃんです。

 これについては、20年間様々なことを経験し、思い出も多数あるので、いずれ別に記事にしたいと思っていますが、最近は、タイムセールという突然割があり、早く買えば安いともいい切れないのです。

 以前は、航空券を確保してからでないと予約を受けない宿も少なくなかったのですが、今ではそんなことも言っていられないようです。



 運賃以外に航空機利用に関するエピソードや不満は、当ブログで過去何回も記事にしてきました。

 不満は大きく分けると、情報を正しく伝えないこと、そして、早く搭乗手続をしないと乗れないと煽ることです。


 情報を正しく伝えないというのは、出発の遅れを直前まで伝えないとか、遅れの理由を曖昧にすることなどです。

 突発的な事故ならともかく、遅延の原因が使用機到着遅れなのに、30分前まで公表しないなんてアンフェアですよね。

 遅れる旨アナウンスすると、客が保安検査を受けないで遊びに行っちゃうから、ギリギリまで黙っておこうという魂胆がミエミエ。

 しかし、一旦出発ロビーに入ってしまうとすることが無い。石垣空港や宮古空港では座る場所もないなんてことも。

 客に対するホスピタリティ・おもてなしとは正反対の発想ですよね。



 これも以前に記事にしたのですが、宮古空港から那覇乗り継ぎで羽田に帰る便を予約していました。

 宮古発の便は11時頃の出発予定でしたが、その時は明らかにされなかった何らかの理由で遅延し、しかも出発予定時刻も何度も先送りされます。

 そうなると、予約していた那覇・羽田便には乗り継げないのですが、手荷物預けの際、突然そのことを告げられ、「那覇で空席待ちをしてくれ」と言われたのです。

 ビックリして詳しい状況を聞こうとしたら、「今、19時台の便に空席がでました」と仰る。あまりにわざとらしいタイミングなので、「とにかく那覇まで行くから」といって、搭乗手続を済ませました。


 それだけの騒ぎでありながら、一方では保安検査場入り口付近の職員が「早く早く」と急かすのです。

 出発が遅延するのではと聞くと「聞いてません」という回答。さすがにここまでされると腹が立ちます。

 何故、わざわざ客に喧嘩を売るような対応をするのでしょうか。


 顛末は、

 機材に何らかの不具合があり、欠航を決めるほどではないものの、整備完了時間が見通せなかった、
 整備完了次第速やかに出発したかったので、客には、搭乗口にいてほしかった、
 その時点では那覇乗り継ぎ客への案内ができなかった、

ということだったようです。


 だったら、素直にそうアナウンスすればいいと思いませんか。変に隠すから、却って疑心暗鬼になるのです。




 一方、突発的な事情に対し柔軟に対応してくれるのも、航空機ならではです。

 出発間際になって搭乗しない人を、職員が走り回って探すというのは、空港では毎度お馴染みの光景ですが、新幹線なら黙って発車するだけです。


 もう10年近く前ですが、羽田をJ社で出発し、那覇でA社に乗り継いで宮古に行くスケジュールだったのが、J社の遅れで乗り継ぎがピンチ。

 J社の機内でCAにその旨申し出たところ、機長が航空無線で問い合わせて、乗り継ぎの段取りを整えてくれました。
 有り難かったのは、担当のCAがそばを通る度に、「今確認中です」と声を掛けてくれたこと。

 結局、那覇空港のターミナルを走る羽目にはなったのですが、このことを書いた記事は、何故かPV数が6千を超えるヒットに。笑


 かつては、J社とA社の間で航空券の裏書き制度というのがありました。J社の航空券でも、J社の承認があればA社の便に乗れるという制度です。

 J社の乗り継ぎ便が遅延した際、緊急事態でどうしても急ぐ人に、J社がA社便の空席を確保してくれたということもあったそうです。


 こんなこともありました。

 石垣空港から那覇乗り継ぎで羽田までA社便を予約していたのですが、台風接近のため、繰り上げて帰宅することに。

 石垣・那覇と那覇・羽田便の振り替えが完了し、手荷物を預け、石垣空港から那覇行きに乗り込んだのですが、あちらさんの手違いで、この便の組み合わせでは、那覇で手荷物の引き継ぎができない。
 そこで、那覇・羽田間は1本後の便になりました。

 ところが当該便は既に満席。しかし、A社は席を譲ってくれる人を募り、自分の席を確保してくれたのです。

 もともと、台風のための振り替えで、那覇まで戻れば取り敢えず一安心という状況だったのに、ここまでしてもらってなんか恐縮した思い出があります。
 
 


 こうして振り返ってみると、航空会社というところは、相手方が不特定多数だと子供扱いするくせに、個人的な特定のケースでは親身になって対応してくれるという、不思議な業界みたいですね。


 冒頭の国会議員のクレームは、当人のブログによれば、「管制からの指示で出発が遅れていると説明しながら、実際は、荷物の積み込みが終わっていなかった」、「搭乗後に降機する乗客がいて、10程度の遅れと説明されたが大幅に遅れた」ということがあったとか。

 それに対する航空会社の説明は、「複数の遅れ要因があった場合すべてを説明しないこともある」「乗客が降機した後は、テロ対策のため機内を徹底調査する必要があるが、他の乗客が不安にならないよう事実を伝えないこともある」ということだそうです。


 CAに横暴な態度を取るのは論外ですが、航空会社も、もう少し何とかできた部分はあったと思います。

 他の乗客が不安にならないようにという配慮であれば、無事出発できた後に事情を説明すべきでしょう。


 乗れなくなるから早く早く!と煽ってみても、その時間にはまだ空港に到着すらしていない客もいるわけで、航空会社の指示に従った人は長い待ち時間が生じるのに、上手く立ち回った人は楽ができるというのは理不尽です。

 「締め切り時刻までに保安検査を完了できなければ搭乗は保障しないので、保安検査場の混雑具合を見ながら各自で判断してください。」と自己責任を促せばいいのではないでしょうか。


 個別の対応してくれることは有り難いですが、反面、ごね得にも繋がりかねません。やはり情報は適宜適切に伝えていただきたいと思います。

 


 さて、最近当ブログでは余談が多いですが、今回も余談です。

 吉幾三さんといえば、大ヒット曲「雪國」が有名です。

 ♪ 逢いたくて 恋しくて 泣きたくなる夜~

 ♪ 追いかけて~ 追いかけて~ 追いかけてぇ~雪國~

 若い人でも、実は口ずさめるという人も多いと思います。


 それ以前は、「俺はぜったいプレスリー」「俺ら東京さ行ぐだ」といった、コミックソングシンガーソングライターでした。

 そんなこともあってか、当時は名曲雪國も替え歌で唄われていたことがありました。



 それでは、雪國の気分で熱唱してみてください

 ♪ おゆかけて~
 ♪ おゆかけて~
 ♪ おゆかけて~カップラーメン



 那覇空港を激走した話は、こちら


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