2024年4月21日日曜日

今さら宮古島で水不足の危機と言われても

 


 「宮古島では、ホテル建設のため今後水不足が懸念される」って、そんなの始めから分かってたじゃん!

 と突っこみたくなる話ですが、4月16日、琉球銀行の調査部門であるりゅうぎん総合研究所が、「宮古島市の観光と水問題に関して」という調査リポートを発表し、話題になっています。


 内容は、宮古毎日新聞の要約によれば、

 「リゾート開発が進む宮古島市内で、ホテル建設に伴う水需要の増加が市の想定を超え、水不足に陥る懸念がある。」「ホテル建設を計画する事業者側の希望給水量に、市が応じられないケースがすでに出ており、今後の大規模開発に影響が出る可能性があると指摘している。」

ということだそうです。

  琉球朝日放送の配信記事では、もっと過激に、「宮古では今後リゾート開発は不可能と分析」という見出しを付けています。

 
 これ以上の開発が不可能ということになれば、宮古島の自然にとってはむしろ結構なことですが、本当にそれだけですむのでしょうか。


(沖縄タイムスプラスから)


 ご存じのとおり、近年宮古島や伊良部島では、ホテルの建設ラッシュで、それに伴って水道水の需要も急増しています。

 リポートによれば、2022年12月末時点の、宮古島市内のホテルの客室数は、約6000室で、10年前の2倍になっています。
 しかも、これには、2023年開業のヒルトン300余室は含まれていません。

 各部屋毎にプール付き、広いジャグジー付き、なんていうゴージャスなホテルも次々オープンしています。
 


 川のない宮古島では、水道水源を地下水に頼っています。

 宮古島の地質(多孔質の琉球石灰岩)は雨が浸透しやすく、それが豊富な地下水脈を形成します。

 それでも、降った雨は、蒸発したり、海に流れ込んだりするため、約40%ほどしか地下水になりません。

 その40%をいかに無駄なく活用するかが、宮古島市の水道事業のすべてです。


 それ以外の方法はありません。川にダムを造って湛水したり、上流に保水力のある森林を整備することもできません。

 宮古島には、貯水池はあるものの、湛水能力はダムとは比べものになりません。つまり、雨期に水を貯めて乾期にそれ使うことは難しいのです。


 市の「第4次宮古島市地下水利用基本計画」では、2028年度に観光客が200万人を超えても、水道水の供給が可能だとしています。

 これを信頼するとしても、特別な場合、例えば台風通過直後で、清掃や洗車のため大量の水を消費する、なんていう事態が発生したときどうなるかは分かりません。


 昨年は、上半期に少雨が続き、7月4日に節水が呼びかけられました。

 8月になって、例年の1.7倍ほどの雨がまとまって降ったため事なきを得ましたが、これが反対に、8月以降に少雨が続いたら、夏シーズンを乗り越えられたかどうか分かりません。


 宮古島では、25年~30年に一度、小雨による大渇水になるといわれていますが、前回が1993年だったので、確率的にはソロソロです。

  


 伊良部島では、旧伊良部町の時代から、宮古島とは独立して水道事業が行われて来ましたが、伊良部大橋の完成と共に給水管を敷設し、宮古島の水を伊良部島に送ることで、水道事業の効率化が図られています。

 今、この伊良部島の浄水場の再稼働が、水不足解消の切り札と主張する人もいます。

 しかし、施設が老朽化している上、伊良部の水は元々塩分含有量が大きく、浄水には金がかかります。
 だからこそ、この浄水場は廃止されたのです。


 もう一つ、宮古島には、地下ダムというものがあります。

 地下の水が貯まっている場所に止水板を打ち込み、水を囲い込んで海に流れ出すのを防ぎ、そこに井戸を掘って効率的に水を吸い上げるというものです。

 現在、農業用水にしか使われていない地下ダムの水には余裕がありそうなので、それを水道用水に回せばいいと誰でも真っ先に思い浮かぶと思いますが、それはできません。
 
 地下ダムが農林水産省の予算で造られたからです。


 これは、国の縦割り行政の弊害とみる向きもありますが、国には国の理屈があります。

 農業用水が足りないというから、国費(つまり国民の税金)を投入して地下ダムを造ったのに、ホテルが増えて水道用水が足りないから回してくださいと言われても、「だったら金を返せ」という話になるわけです。




 宮古島市が使える水は、降った雨の40%がMAXです。

 そのうちある程度の水は、まとまって湧き出して来ますが、ちょろちょろと海に流れ出る水まで回収利用しようとすれば、金がかかります。
 そもそも、雨が降ってくれないことには話になりません。

 そうなると、あとは使う水の量を減らすしかない、誰でも分かる簡単な理屈です。


 りゅうぎんリポートには、最後に必要な取り組みへの提言が書かれています。

 ホテルが節水型のシャワーを採用するとか、プールから溢れる水を再利用するとかの涙ぐましい節水対策が呼びかけられているほか、企業版ふるさと納税を活用した新たな水源地の確保などにも触れています。

 しかし、一番のキモは水道料金の値上げです。リポートには、大口需要者の水道料金を見直せと書いてあります。


 ごもっともですが、最初からそれをやっておけばよかったのですが、後からやるのは関係者の反発も大きいと思います。

 そうなると、次は水道料金全体の値上げという話になるかも知れません。でも、そうすると市民を巻き込んでしまいます。



 ホテルが激増すれば水不足になることなんて、素人でも容易に想像がつきます。なにを今さらというのが率直な感想です。

 それを、第三者機関が調査して判明したという流れも、不自然です。将来の料金値上げや使用制限に向けてアドバルーンを上げてみた、というのは考え過ぎでしょうか。




 コロナ前の2019年、宮古島バブルといわれた時期、それを懸念する地元の声に対して当時の副市長が、「観光業はトータル産業。自分に直に関係あるないよりも、回り回って自分のところにくる」と語っています(RBCニュース)。

 これ、皮肉ですよねぇ。

 観光業に関係ない人に、回り回って水不足や、水道料金の値上げがくるのでしょうか。
 


 りゅうぎんリポートはこちら


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2024年4月16日火曜日

沖縄風景写真 とは無関係に写真に関する雑談

   

 1980年代のカメラ雑誌。
 捨てようと思ってパラパラめくっていたら、ついつい引き込まれる独特なワールドがそこにありました。

 今回は、沖縄とはまったく関係のない話になるので、沖縄の風景写真を並べてむりやり沖縄と関連させつつ、今とはまったく違った40年前の写真の世界について語らせてもらいます。




あのころの写真は何だか分からないものが多かった

 当時のカメラ雑誌に載っている写真は、大家の先生の作品も、コンテストに入選したアマチュアカメラマンの作品も、どこがどう素晴らしいのか、よく分からないものがてんこ盛りでした。

 街角の光景や物を何故そう撮る? 花や動物を何故ストレートに撮らない?

 自分にはとても撮れない、というか、その着眼点すら分からない謎写真が、雑誌の7割、8割を占めます。


 たまに、おっ、これ綺麗じゃん、とか、このモデル可愛いじゃん、と思う写真があるとそれはカメラメーカーの広告べージだったりするのです。
 



能書きも多い

 そのよく分からない写真には、長文の解説がつきます。

 大先生の作品には、別ページに細かい字で長々と本人の思いなり評論なりが、フォトコン入賞作品には、下位の入賞でも2~300字の講評が。

 作品自体よく分からないので、解説を読んでもますます分からなくなるだけ。

 素直な感想を言っちゃうと、ウケないギャグを聞かされたあと、「今のギャグは何処が面白かったかというと・・・」といわれたみたいな。


白黒写真が多い

 モノクロ写真が誌面の約半分を占めているのも特徴です。

 当時でも、一般の人が普通に写真を撮る限りモノクロではなく、ほぼすべてカラーだったと記憶していますが、趣味の世界ではまだまだモノクロ写真が幅をきかせていました。

 モノクロ(Monochrome)というより、文字通りの「白黒写真」という感じの、コントラストが強烈に強い作品が多かったようです。




無造作に人が沢山写っている

 人が写っている写真も多いです。それも、そこいらにいる人を勝手に撮って勝手に載せちゃった、みたいなのが。

 当時は、プライバシー権とか肖像権に無頓着だったからでしょうが、正直に言ってこれは羨ましい。


 目の前に素敵なシーンが広がっていても、そこに人がいると、撮るにはもの凄く気を遣います。顔が写らないように、本人が特定できないようにと。

 そうしないと、もし、いい写真が撮れてもブログには載せられません。

 人を撮りたい場合は、勇気を出して声を掛けるようにしています。
 思っているよりは、OKしてもらえることが多いですが、もちろん断られることもあるし、お願いする間もないほどの突然のシャッターチャンスもあります。


 男性の写真では、タバコを吸っているシーンが多いのも時代ですよねぇ。

 


今なら児童ポルノ?

 子供の写真も多いのですが、男の子も女の子も、下半身丸出し、パンツ丸見えな写真が少なからずありました。

 今なら、児童ポルノで捕まるんじゃ?って思うくらいですが、「子供だから、子供はこういうものだから」という決めつけというか、大人目線で子供を撮っていた感じです。


ヌード写真全開

 そして、この当時のカメラ雑誌に特徴的なのは、ヌード写真が氾濫していたことです。

 それも、ただ女の人が裸になるというだけではないのです。

 砂浜に寝転がったり、草むらに埋まっていたり、木の幹にもたれかかったり、水の中にいたり、
 体に花が盛られていたり、ど派手メイクだったり、とんでもないポーズをさせられていたり、とんでもない衣装を身につけていたり、おしりや胸のどアップだったり。


 タイトルには「おんな」「女」「○○の女」というのが並びます。

 それに対する解説がまた、「エロス」が「官能的」で「淫靡」な「曲線美」と続きます。


 だけど、ハッキリ言わせてもらうと、女の人の裸なのに、全然ドキドキしないし、何も感じないのですよ。
 お年頃?だった当時の自分でもですよ。

 それどころか、エロじゃなくてグロじゃん、なんて突っこみたくなるものもあります。ヌードの分野であっても、よく分からない写真が並ぶのです。

 

 せっかく目の前に裸の女がいるんだから、もっとシンプルに撮れば、○○で××なのに、なんて思うのは、俗人の浅はかさなんでしょうな。

 芸術であるヌードは、その女性美をレンズを通して極限まで追究するのでしょう。(まぁ知らんけど)


 どうやって、撮るのかといえば、アマチュアの場合は、有料のヌードモデル撮影会に参加するか、同好会のメンバーで金を出し合って、プロのモデルを頼んでいたようです。

 とても金のかかる趣味です。
 

 大勢のおっさん達が、屋外で裸になった女の人を取り囲んで写真を撮る、というのも想像するとちょっと不気味ですが、近時のように高性能カメラで盗撮するよりは、ある意味潔いとも言えます。




 ♪ 今の君はピカピカに光って~

 宮崎美子さんがブレイクしたカメラのCMをご存じでしょうか。自分もその頃カメラデビューしました。

 カメラを買って写真に夢中になり、カメラ雑誌を買い漁りました。

 その当時のものをなかなか捨てられず、引っ張り出してパラパラとめくり出したら、面白くて止まらなくなってしまったのです。

 懐かしくもあり、却って新鮮な感じもします。

 本としては状態が悪く、結局捨てざるを得ないようなので、せめて捨てる前に感じたことをブログに書かせてもらいました。


 フイルムで撮り、それを現像してプリントしなければ見ることができなかった写真は、金がかかると同時に、カメラマンには一発必写の高いテクニックが求められました。

 撮ったものをすぐ見ることができ、いくら撮っても金のかからないデジタル写真の時代とは違い、いい意味でも悪い意味でも、写真趣味が特別な人達に支えられていた時代でした。




 今回並べた沖縄の風景写真ですが、当時これだけ撮れたら、多分プロカメラマンとして通用したと思います。

 昔は、目に見えるものを目に見えるのと同じ明るさ、同じ色で撮るのこと自体が難しく、カメラマンは、アーティストである前にエンジニア(技術者)でなければなりませんでした。

 綺麗な景色をそのとおり綺麗に撮れれば、出版社が買ってくれた時代です。


 カメラ雑誌には、それとは別に、自分のイメージを写真で表現するという、一種独特のワールドがあったのではないかと思いまです。
 
 ただ、自分がそのワールドに入って行けなければ、なんだかよく分からない写真が載っているというだけで終わってしまうのかも知れません。


 今のように、誰もがお手軽に、しかも、見た目以上にいくらでも盛れる写真を撮れる時代が来るとは、当時誰が想像したでしょうか。

 あれから、まだ40年しか経っていないのです。





 最後に〆の雑談です。
 今回の記事は、そもそも雑談なので、雑談of 雑談なのですが。

 「エロス」とは、ギリシャ神話の愛を司る神の名前です。
 愛と美を司る女神アフロディーテの息子で、背に翼を持ち、恋をもたらす金色の弓矢を携えるそうです。

 あれっ?と思いませんか。

 そう、ギリシャ語の「エロス」が、ローマ時代に入り名前が変わり、ローマ神話の中で、アモール(Amor)、クピードー(Cupido)と呼ばれるようになります。

 Amorは、後にフランス語のAmour(アモーレ)になり、Cupidoは英語読みでキューピッドなんだそうですよ。

 




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2024年4月11日木曜日

下地島空港はもう5周年 でもこの先は? 

  


 オールジャパンでもトップクラスの美しい海を背に、目の前をジェット機が轟音を轟かせて離発着する。

 こんな空港は日本中探してもほかにないだろう、そんな下地島”絶景”空港ですが、開港して早5年が経ちました。


 当ブログを始めた頃、下地島空港は、まだ訓練飛行場でした。紆余曲折の末今の姿になったのですが、当ブログではその状況を追いかけ続けてきました。

 下地島空港に関する記事は皆さんも関心が高かったようで、PV数も伸びました。


 ターミナルが新たに整備され、定期便が飛ぶようになってからもう5年ですか。本当にあっという間でした。


 これは、ブログを始める直前の2012年7月に撮った写真です。


 その下地島空港ですが、開港当初は、ジェットスターが1日1往復するだけだったのですが、その後コロナ禍に見舞われたものの、昨年度は遂に年間利用者数が42万人に達し、昨年の8月には累計の利用者数が100万人を突破しています。

 このまま行けば、当初目標だった2025年度に利用者57万人という数字も、あながち、夢ではなさそうです。


 コロナで途絶えていた国際線も、来月末には大韓航空系LCCのジンエアーが就航し、仁川から週5往復運航されることが決まっています。




 その一方、不安材料もあります。

 開港7年目に、国際線を含め1日6往復程度、利用者は57万人程度というのが開港当初の構想でした。

 昨年7月から、定期便がジェットスター1往復、スカイマーク5往復体制となっており、国際線はないものの、1日6往復という目標は既に達成しています。

 それにもかかわらず、利用者数は目標は、4分の3以下です。つまり、1便当たりの乗客が想定より少ないということです。


 また、スカイマーク依存も相変わらずです。

 この会社はかつて経営破綻し、その際、石垣空港・宮古空港を含む多くの空港から撤退・運休しました。

 あのとき、スカイマーク依存度の高かった茨城空港は、空港そのものの存続が危ぶまれたほどです。

 JALでもANAでもない、中堅以下の航空会社1社に支えられている体制は、安定性の面で一抹の不安が残ります。
 

 また、下地島空港のおかげで宮古島の観光客が増えたかというと、そういうわけでもなさそうなのです。

 宮古島市の統計によると、オンシーズンである7月~9月の入域観光客数は、昨年は272,151人でした。
 これは、コロナ前2019年の同期間の332,439人の81.9%に過ぎません。

 中国の団体観光が禁止されていた影響はあるでしょうが、国内向けには、7月・9月に県が全国旅行支援で大盤振る舞いをしたにもかかわらずこの数字です。


 しかも、下地島空港開港前の2018年の同期間では、さらに多い366,442人であったため、結局は宮古空港の利用者を喰っただけ、という見方もできそうです。


 この間、宮古島ではホテルの開業が続き、客室数は、コロナ前に比べ確実に増えています。
 宮古空港と併せて、空港とホテルというハード面では、観光客を受け入れるポテンシャルは相当高いといえるのですが、それを生かし切れていないのか、それとも、後先考えずハードだけが先走ったのでしょうか。




 人口約5万5千人の宮古島市に大型空港が二つもあるというのは、他に類を見ない贅沢な環境です。

 高級ホテルも次々開業し、受け入れ体制はバッチリなのですが、その一方足元では、宮古島周辺の海でクマノミが捕獲され持ち去られるなど、情けない状況が続いています。 


 宿泊税も結構ですが、その前に市は、観光地宮古島をどうしたいのか、そのビジョンを具体的に打ち出してもらいたいものです。

 宮古島市総合計画の基本理念は、「心かよう夢と希望に満ちた島宮古〜みんなで創る結いの島」だそうですが、美しい言葉を並べるだけではなく、行政として具体的に何を目指すのか、そのために島民と観光客に何を我慢してもらうのか、本気で考えてもらわなければ、日本一美しいかも、といわれる宮古の海も、先行きは暗いのではないでしょうか。


 オンリーワンの絶景空港である下地島空港。

 10周年・20周年を向かえる頃には、秩序ある成熟した観光地の入り口として、憧れの的となっているでしょうか。
 それとも、「国破れて山河あり、宮古島破れて空港あり」と揶揄されているのでしょうか。



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